東京高等裁判所 昭和42年(ネ)2138号 判決 1971年5月27日
控訴人 (旧商号エビス精糖株式会社)エビス氷糖株式会社
右代表者代表取締役 田中成幸
右訴訟代理人弁護士 馬場正夫
右訴訟復代理人弁護士 佐伯修
同 武田渉
被控訴人 内田富造
主文
原判決を取消す。
被控訴人の請求を棄却する。
訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。
事実
控訴代理人は主文と同旨の判決を求め、被控訴人は控訴棄却の判決を求めた。
当事者双方の事実上の主張および証拠の関係は、次に附加するもののほか、原判決事実摘示のとおりであるからこれを引用する。
(被控訴人の主張)
(一) 被控訴人が本件手形の満期の記載を変造したとの控訴人の主張事実は否認する。被控訴人が本件手形を受領した際はすでに満期は昭和四一年七月二五日と記載されていたものである。
(二) かりに控訴人主張のとおり本件手形の振出後その満期が変造されたとしても、控訴人はその主張する変造前の昭和四一年四月二五日を満期とする本件手形の文言に従い振出人として被控訴人に対し本件手形金五〇万円および右手形呈示の日の翌日である昭和四一年七月二六日から支払ずみまで年六分の遅延損害金の支払義務がある。
(三) 後記控訴人の主張事実中本件手形が昭和四一年三月二四日控訴人の訴外亡渡辺藤吉に対する債務金五〇万円の支払のため振出され渡辺に交付された事実および控訴人が右手形について支払猶予をえて手形の書替をした事実はいずれも不知、その余の事実は否認する。被控訴人は訴外アズマ製菓株式会社が昭和四一年四月二六日か二七日同会社の経理係長久保実をして同会社の被控訴人に対する債務金五六万三、〇〇〇円の担保として本件手形を被控訴人に持参差入れさせたものと信じて善意でこれを取得したものであるから、控訴人の抗弁は理由がない。
(控訴人の主張)
本件手形(但し満期は昭和四一年四月二五日であった)は控訴人が昭和四一年三月二四日訴外亡渡辺藤吉に対する債務金五〇万円の支払のため振出し渡辺に交付したものであり、控訴人はその後一ヶ月の支払猶予をえて手形の書替をし、本件手形は渡辺から控訴人に返還される過程において訴外羽鳥かね子から被控訴人の手に渡ったものである。しかしながら控訴人は被控訴人とはなんらの取引関係もないのであるから、被控訴人は控訴人に対し本件手形上の権利を行使することは許されない。
(証拠関係)≪省略≫
理由
一、金額を五〇万円とし、支払地、支払場所および振出地として被控訴人主張のとおりの記載があり、受取人欄を空白とした約束手形に控訴人が振出人として記名押印した事実、右手形を被控訴人が現に所持しており、その手形には満期として昭和四一年七月二五日、振出日として同年四月二九日、受取人として被控訴人の氏名の各記載がある事実は当事者間に争がない。
ところで≪証拠省略≫を総合すれば、本件手形の満期は当初昭和四一年四月二五日と記載されていたが、後に控訴人の意思にかかわりなく、なんびとかの手によって前記のとおりに変造されたことがうかがわれ(る。)≪証拠判断省略≫然らば変造前の満期を昭和四一年四月二五日とする本件手形に振出人として記名押印した控訴人は、変造後の本件手形についてはその文言による手形金支払の責任がないことは明らかである。
二、次に被控訴人は控訴人は本件手形の変造前の文言に従い振出人として本件手形金の支払義務があると主張するので判断する。
本件手形の満期が当初昭和四一年四月二五日と記載されていたことは前記のとおりである。しかして≪証拠省略≫によれば、本件手形の受取人欄は前記のとおり当初白地であったが、後に被控訴人において手形の呈示前に自己の氏名を補充したことが認められ、また≪証拠省略≫を総合すれば、本件手形の振出日は昭和四一年三月二四日であったが、手形面上振出日欄は当初白地としておいたもので、後に被控訴人によって前記日付が記載されたことが認められるが(≪証拠判断省略≫)、本件においては右振出日および受取人についての手形上の記載が白地補充権の不当行使による旨の主張も立証もないところであり、補充された振出日が真実の(変造前の)満期の後であるという結果になるけれども、そのことの故に当然これを無効とするには当らず、本件手形は結局において満期を昭和四一年四月二五日とする手形として被控訴人主張のとおりの各手形要件の記載された完成手形であるといわなければならない。
ところで控訴人は本件手形は訴外亡渡辺藤吉に対する債務の支払のため振出し渡辺に交付したものであり、控訴人はその後右手形について支払の猶予をえて手形の書替をし、本件手形は渡辺から控訴人に返還される過程において訴外羽鳥かね子から被控訴人の手に渡ったものであるが、控訴人は被控訴人とはなんらの取引関係もないのであるから、被控訴人は控訴人に対し本件手形上の権利を行使することは許されないと主張する。よって案ずるに、前記認定の事実に≪証拠省略≫を総合すれば、次の事実を認めることができる。すなわち、控訴人はかねて訴外亡渡辺藤吉から金五〇万円を借受け、その支払のために約束手形を振出しその書替をくりかえしてきたが、昭和四一年三月二四日本件手形を右の書替手形として、前記のとおり満期を同年四月二五日と記載し、振出日および受取人の各欄を空白としたまま訴外アズマ製菓株式会社(その代表者は控訴人代表者田中成幸の父田中庸公であり、かつ同会社の建物の中に控訴人の事務所があった。以下アズマ製菓という)の経理係で従来から控訴人の用をも足していた長久保実をして渡辺方へ持参交付させたこと、その後本件手形は一ヶ月の支払猶予をえて金額五〇万円の手形に書替えられることになり、長久保は右満期の前日である同年四月二四日書替手形を渡辺方へ持参して渡辺に交付し、書替前の本件手形は返還されるはずであったが、たまたま右渡辺が不在であったため長久保はその日は本件手形を持ち帰えることはできなかったが、その後右渡辺に対する債務は同年五月二六日現金一五万円を支払い残額三五万円は同年六月二五日を満期とする約束手形を支払って決済されたこと、そしてそのころまでに本件手形及びその書替手形は渡辺から控訴人に返還されたこと、他方アズマ製菓は訴外羽鳥かね子を通じて被控訴人から金五五万八、〇〇〇円を借受けることになり、長久保は同年四月八日被控訴人から右金五五万八、〇〇〇円を受領し、金額二〇万円、満期同年四月二六日および金額三五万八、〇〇〇円、満期同年五月七日、いずれも振出人アズマ製菓、受取人を羽鳥商店とする約束手形二通を被控訴人に交付したこと、その後アズマ製菓の支払が困難となってきたので長久保は右会社のため右金額二〇万円の手形について満期の前日である同年四月二五日被控訴人に対し支払の猶予を申入れたところ、被控訴人から担保の提供を求められたが、右会社には格別担保に提供すべき適当なものがなかったこと、長久保は翌四月二六日前記金額二〇万円の手形の書替として右手形金額二〇万円に一〇日分の利息を加えた金額二〇万五、〇〇〇円、満期を同年五月一一日とする書替手形を被控訴人方に持参したが、被控訴人は不在であったので、これを被控訴人方の仕事場の机の上に置いて帰ったこと、被控訴人は帰宅して右書替手形を発見したが、そのさいそれとともに本件手形が一緒においてあったので、これらは長久保が前日の被控訴人の求めに応じて置いて行ったものであると考えたが、同人に問合せて確かめることもせず、保管していたこと、その後間もなくアズマ製菓は倒産したので、被控訴人は羽鳥に本件手形の取扱について相談したところ、同人よりとにかく取立に廻したらよいといわれたので、本件手形の振出日欄に同年四月二九日と記載し、受取人欄に自己の氏名を補充して(このころまでに満期が前記のとおり変造されていることは前認定のとおりである)、滝野川信用金庫に取立を委任し、同金庫において同年七月二五日に本件手形を支払場所である株式会社第一銀行下谷支店に支払のため呈示したところ、満期日変造の理由で支払を拒絶されたので、右金庫は本件手形を被控訴人に返還したこと、以上の事実が認められ(る。)≪証拠判断省略≫右認定の事実によって考えれば、本件手形は控訴人が渡辺に対する債務の支払のため満期を昭和四一年四月二五日とし振出日および受取人を白地として振出し同人に交付したもので、その後右手形は手形の書替により控訴人に返還されたものであることは明らかであるところ、右手形の授受に関与したアズマ製菓の経理係長久保実は前記金額二〇万円の手形の書替を被控訴人に懇請したさい担保の差入を求められ、アズマ製菓には差入れるべきかくべつの担保もなかったところから、窮余の末たまたま渡辺から返還されて控訴人方にあった本件手形を控訴人の承諾をえないでアズマ製菓の被控訴人に対する債務の担保として被控訴人方に置いてきたものと推認するのが相当である。この点は原審及び当審において証人長久保実の強く否定するところであるが、同人の証言以外他に特段の事情のみるべきもののない本件においては、前記認定の諸般の情況上しかく推定せざるを得ない。前記甲第一号証の裏面に(羽鳥かね子)なる旨の記載があることは明らかであるが、≪証拠省略≫によれば、これは同人において本件が羽鳥の口ぞえで成立した融資で、本件手形はその担保であるとの意味で自ら記載したものであることが明らかであるから右推定をくつがえすべき反証とするに足りず、その他にこれを左右すべき的確な証拠はない。
次に本件手形の満期が昭和四一年七月二五日と変造されていることはさきに認定したとおりであり、これが控訴人の意思によるものでないことは明らかであるが、さりとて控訴人以外のなんぴとによってなされたかは結局明らかでないけれども、この点は本件の結論には影響がない。そして被控訴人が振出日欄に前記のとおりに記載し受取人欄に自己の氏名を補充したものであることは前記のとおりである。しかして本件手形が被控訴人の取得するところとなった経緯は右の如くであって、被控訴人が右取得について悪意又は重大な過失あるものとすることは控訴人の主張立証しないところであるから、結果として本件手形は控訴人の意思にもとづいて流通におかれ被控訴人に交付されたものといわざるをえない。そしてその関係は控訴人が一旦渡辺から返還を受けたものを被控訴人に交付し、被控訴人が自ら受取人欄に自己の氏名を補充したものであるから、両者の関係は直接の当事者というに帰着する。もっとも控訴人は本件手形は渡辺から控訴人に返還される過程で羽鳥から控訴人に交付されたものと主張するが、事実は右に見たとおりであり、しかも控訴人は被控訴人に対する原因関係欠缺の抗弁を主張しているのであるから、その前提として控訴人と被控訴人との関係が直接の当事者であることの主張をも含むものと解すべきこと、弁論の全趣旨の上から明らかである。然りとすれば、控訴人は本件手形がアズマ製菓の被控訴人に対する債務の担保として被控訴人に交付されたことについては全く知らなかったものであり、他に被控訴人と控訴人との間になんらの取引関係もなかったことは本件口頭弁論の全趣旨により明らかであるから、本件手形は原因関係を欠くものというべく、控訴人は被控訴人に対し本件手形金の支払を拒否することができるものといわなければならない。この場合控訴人と被控訴人とは本件手形の振出人と受取人との関係にあって直接の当事者というべきこと前記のとおりであるから、控訴人は被控訴人が善意で本件手形を取得したものであるか否かを問わず、右抗弁をもって被控訴人に対抗することができるものというべきである。従って控訴人の抗弁は理由があり、変造前の満期を昭和四一年四月二五日とする本件手形にもとづいて控訴人に対し本件手形金の支払を求める被控訴人の本訴請求もその余の点について判断するまでもなく理由がないといわなければならない。
三、よって被控訴人の本訴請求は失当としてこれを棄却すべく、これと趣旨を異にする原判決は不当であるから、民事訴訟法第三八六条によりこれを取消し、訴訟費用の負担につき同法第九六条、第八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 浅沼武 裁判官 岡本元夫 田畑常彦)